私のなかの『幸福の閾値』
娘ちゃんを妊娠する前、それなりの都会で暮らしていた。
カフェや雑貨屋を巡るのが好きで、カメラで気侭に写真を撮り歩いた。
友達とカラオケに行ったり、お酒を飲みに行ったりも、決して特別なことじゃなかった。
夫氏と結婚してからも、色んなところを旅行した。
お風呂上がりに2人でレイトショーを観に行くのが好きだった。
雑誌に載っているメイクをして、コスメや自分のための買い物をするのも日常だった。
今は田舎で、夫氏と娘ちゃんと小さく暮らしている。
出掛けることが少なくて、行き先はスーパーやドラッグストアなんかの、生活必需品ならぬ生活必需「場」。
必要至急の外出ばかり。
マスク必須のご時世もあいまって、メイクは滅多にしないし、コスメを買ったのはいつが最後だっけ。
カフェ?雑貨屋?
そもそも一人の時間の確保も怪しい。
旅行も映画も、当分行くことがないだろう。
高校生の頃、理科で「閾値」という言葉を習った。
「ある反応を起こさせる、最低の刺激量」だと。
ありがとうGoogle先生。
楽しいや嬉しい、要するに幸福。
最近の私は、『幸福の閾値』が以前に比べて下がったように感じてる。
たくさん遊んでいた頃は勿論楽しかったけど、お腹いっぱいにならなかった。
今はちょっとしたドライブなんかでも、幸せを感じられるのだ。
娯楽に飢えて、少しのことで刺激になっているだけなのかもしれない。
コスパ良く、なんて言うと色気があまりになさすぎるけど、つまりは簡単に幸せになれている。
きっと、どんなに山盛り好きな物を買って好きな事をしたとて、それを幸せだと思う感受性が鈍ければ、幸せになんてなれっこないのだ。
何をするかも大切だけど、何を思い感じるかも、暮らしの中で幸せを噛み締めるには大切なんだろう。
自分のためより家族のために、時間もお金も使うようになった。
特別なイベントはないけれど、娘ちゃんの柔らかいほっぺを吸って、彼女が寝付いた後の甘い紅茶一杯で幸せを感じられるのは。
なんて言うか、地に足をつけて、前より上手く生きているよなあと思う。