【重度妊娠悪阻+重度うつ病】生きる保育器だと思って耐えた時間(3)
体外受精に踏み切って
体外受精に踏み切った私たちの気持ちはなんと言うか、「もう引き返せない所に来た」。
勿論、しんどいことは山積み。
そもそも体外受精って、どうやってやるの?
すごくざっくりと説明すると、
そのカップルごとで色んな条件は違うから、細かいやり方は色々あるけれど、大まかにはこんな感じ。
私たちの場合
私と夫氏の場合は、子宮で卵子を育てるためにホルモン剤を服用しつつ、毎日注射が必要なんだけれど、この注射は自宅で自分でやる必要があった。
これが、もう、怖くて。
初めて注射をした時は、手が震えて心臓が止まりそうだった。
これだけ頑張って、お金をかけて、駄目だったらどうしよう。
四の五の言ってる場合じゃない、目の前のことをやっていこう。
そう言い聞かせて、体作りのためにジムに通い始め、ウォーキングを始めた。
体を冷やすのはよろしくないなんて聞いたから、常にもこもこしたソックスを履いて、お白湯を飲んでいた。
その甲斐あってかなかってか、未来の我が子候補生は私の中ですくすくと育ち、ついに先生からは採卵の日取りを決めようという話が出た。
採卵。あれってね、手術みたいなものなんです。
全裸に手術着でオペ室に入って、私の場合は意識が飛ぶタイプの麻酔をして。
終わった後も体がとにかく辛かった。
そうして手に入れた卵子が受精卵になった写真を病院で見せてもらった時には、ちょっとした感無量。
取り敢えず受精卵が出来たことへのお祝いに、久し振りに夫氏と二人でワインを飲んだ夜を忘れられない。
少し体を休めた後、今度は卵を体に迎える準備のために、再びホルモン剤漬けになる。
飲み薬、それからサロンパスみたいに体に貼るタイプのお薬で整えて、おぼえのあるオペ室に入って。
そうしてその日、私のおなかに娘ちゃんがきてくれたのだった。
お金の話
本当にこれ、カップルによって幾らかかるか違うんだけど、私たちの場合は。
採卵…大体30万円
移植…大体20万円 でした。
二十代と三十代頭の夫婦の医療費としては、ちょっと可愛くなさすぎる額。
私たちは一度の採卵と一度の移植で上手くいったラッキーなケースで、回数をこなすと額も勿論かさむ。
後日談として、娘ちゃんを無事に生んだ後に病院から、残りの受精卵を保存し続けるかどうかお手紙が届いた。
受精卵ってね、凍結して保存出来るの。
すごくすごく悩んだけど、残りの卵は破棄しました。
治療の過酷さと費用面は、破棄した大きな理由の一部。
治療から一年以上経ったけど、貼り薬で爛れた跡は無数に肌に残っている。
もう一度治療をやれと言われたら、私には出来ないと思う。
【重度妊娠悪阻+重度うつ病】生きる保育器だと思って耐えた時間(2)
妊活開始
三ヶ月あれば半数以上、半年もあればほとんどが妊娠するってネットに書いてあったから。
一応まだ二十代で、大きな病気もしたことがない女と、三十代の入り口で、健康そのものな男。
そのうち可愛い赤ちゃんが来てくれるだろうと、妊活を始めたばかりなのに、既に妊娠したようなふわふわ浮ついた気持ちでいた。
地に足がついてないどころか、多分30センチくらい浮いていたと思う。
だって、妊娠中についてのハウツー本まで買っちゃったんだもの。
可愛らしいピンクのアプリで生理周期を管理して、今までお世話になった避妊具の白い箱を引き出しの奥にしまい込んで。
それが私の、いや私たちの、一番初めの「妊活」でした。
あれ、妊娠しない?
でも、待てど暮らせど赤ちゃんは来ず、代わりに毎月覚えのある腹痛が私を痛め、恒例の八つ当たりが夫氏を襲った。
そんな繰り返しを大体6クールもすると不安が募りに募る。
だって私たちまだ「若い」はず、それで出来ないなんて何かあるんじゃ…。
そう思った私は、婦人科の門戸を叩くことにした。
結果としては失敗だった、初めの通院先選び。
真似しちゃダメな悪い例として、選んだ観点を挙げておく。
- とにかく近く通いやすいこと
- 不妊を看板に掲げた所は行きづらいから「普通の」婦人科
- レビュー・口コミ気にしない
「若いから大丈夫」なんて言われてあまり検査をしてもらえず、何より先生が無神経なタイプで合わなくて、次の通院先へ転院。
- 少し遠くてもOK
- 優しそうな!先生のところ
- レビュー・口コミチェックした
結論から言うと、ここでも妊娠は出来なかったけど、先生がとても穏やかで、そしてきちんと検査をしながら診て下さって、心地好く通い続けることが出来た。
いざ、不妊治療
まずは私の排卵のタイミングをエコーで見ながら、それに合わせて先生に指定された日に夫婦生活を持つタイミング療法をはじめた。
しんどかったポイントは以下の通り。
- 卵巣をエコーで見てもらうために割と頻繁な通院が必要(排卵直近は3日に一度とか)
- 毎回先生にデリケートな部分を診てもらうのがちょっと心にクる
- 指定された日に夫婦生活を持つことでプレッシャーを感じる(主に夫氏が)
- 自前のホルモンを補うためのホルモン剤の副作用がつらい
- ホルモン注射はお尻や肩に打つ筋肉注射で痛い
- 妊娠しやすくなると聞きどんどん増えるサプリメント(最終的に5〜8種類くらい+漢方薬だったように思う)
でも、だめだった。
落ち込んだけど仕方ない、夫氏と話して次のステップの人工授精へ進んだ。
基本的にはタイミング療法と同じなんだけど、指定日の夫婦生活の代わりに、精製した精子を器具で子宮に入れる方法。
つまり、夫氏が自分で容器に精子を採り、病院に提出しないといけなくなった。
心の柔らかい部分をじくじく噛み続けられるようなつらさ
すごく、頑張った。
出口の見えない真っ暗なトンネルを歩いているみたいで、治療の痛みより先が見えない絶望感に泣かされた。
今まで当たり前のように、未来を描きながら話していた子どもについての会話は、自然とタブーになった。
外出先で小さな子ども連れを見掛けると、夫氏も私も互いにぎこちなく気遣う空気を感じた。
通院先の待合室で見る妊婦さんを羨ましく思い、生理が来るたび泣いて、時には荒れ狂って、たくさんたくさん夫氏と話をした。
壁に投げ付けてお釈迦になったコップ、ごめんなさいとありがとう。
私たちは妊娠しない原因が分からないカップルだったから、どちらかが自分や相手を責めることはなかったけど、もしこれから治療を進めていく中で原因が分かったとしても、全て「二人のこと」として受け止めようと決めた。
「もし、このまま子どもができなかったら?」
「それでも二人で暮らしていこう。」
たとえ子どもに恵まれなくても、私も夫氏もお互いを大切に思えるんだと、恋人時代の綺麗事じゃなく、もっと痛々しい切れ味で感じた時間だった。
そんな時間を経て、私たちは体外受精にチャレンジすることに決めた。
【重度妊娠悪阻+重度うつ病】生きる保育器だと思って耐えた時間(1)
はじめに
0歳の娘ちゃんと暮らしている私、この子を生むまで結構大変でした。
妊娠・出産はみんな大変なもの、女性は命懸け。
そうなんです、本当にそうなんです。
みんな大変で楽な人なんていないというのを、大前提として大きく入り口にどーんと構えた上で。
足が早い遅い、勉強が得意苦手、甘い物が好き嫌いその他諸々エトセトラ、全てのことには個人差がある世の中で、妊娠・出産も当然個人差がある。
妊娠中に私の周りにいた心ある男性方は、自分に出産経験がない分、その大前提をよくよく噛み締めて「きっとさぞ大変なんだろう」と気遣ってくれていたように思う。
意外としんどさが伝わらないのが、出産経験があり、それが比較的「軽かった」女性。
「私はつわりでも根性で働いていた。(=出来ないのは根性がない)」
「おなかに赤ちゃんがいて幸せに思えないなんて有り得ない(=辛いと思うのは母親としてちょっと…)」
こういう言葉を息をするように紡がれると、当時の私はつらかった。
今、妊娠中で大変な妊婦さん。
前述の通り、本当に個人差があるから!
あなたの体で妊娠するつらさは、あなたしか評価できない。
先輩ママさん達が何と言おうと、当たり前だけど、みんな自分の体でしか妊娠したことがないんです。
私がこれから書くことも、私の体での経験にしか過ぎないけれど、当時の私は似たような妊娠経過を辿ったブログやTwitterが一つの支えになっていたから。
つらいけど何とか今日一日をおなかの赤ちゃんと生き抜こうとしている妊婦さんに届けば良いなあと思って、思い返しながら書いてみることにしました。
赤ちゃんが欲しい
結婚してから数年間、夫氏と二人で暮らしていた。
子どもはいつか欲しいと思っていたけど、今じゃないと思っていた私。
仕事と、それから自分と夫氏にとって楽しいことで毎日を埋めつくしていた。
だって、妊娠するって怖いじゃない。
出産するって痛そうじゃない。
今やっている仕事は?
人の親になるって、どんな感じ?
そんな風に思っていたから。
でもついに来た、運命の日。
ある日、久し振りに大学時代の友人から連絡をもらって、一緒にランチをすることにした。
数ヶ月前に初めての出産を終えた彼女は、小さな赤ちゃんを連れて現れた。
話自体は、何を話したか今となってはよく覚えてない。
彼女がお手洗に立ったほんの数分間、赤ちゃんを抱っこさせてもらった。
なんて小さい!
柔らかい、頼りない、儚い、温かい、甘い匂い………
ゆっくりと瞬きする綺麗な瞳にかげる睫毛、腕に感じる心地好い重さと温かさ、何だかそういうもので胸がいっぱいになってしまって、堪らなくなって。
友人と「またね」を交わす頃には、もう思っていた。
私、赤ちゃんが欲しい!
私のなかの『幸福の閾値』
娘ちゃんを妊娠する前、それなりの都会で暮らしていた。
カフェや雑貨屋を巡るのが好きで、カメラで気侭に写真を撮り歩いた。
友達とカラオケに行ったり、お酒を飲みに行ったりも、決して特別なことじゃなかった。
夫氏と結婚してからも、色んなところを旅行した。
お風呂上がりに2人でレイトショーを観に行くのが好きだった。
雑誌に載っているメイクをして、コスメや自分のための買い物をするのも日常だった。
今は田舎で、夫氏と娘ちゃんと小さく暮らしている。
出掛けることが少なくて、行き先はスーパーやドラッグストアなんかの、生活必需品ならぬ生活必需「場」。
必要至急の外出ばかり。
マスク必須のご時世もあいまって、メイクは滅多にしないし、コスメを買ったのはいつが最後だっけ。
カフェ?雑貨屋?
そもそも一人の時間の確保も怪しい。
旅行も映画も、当分行くことがないだろう。
高校生の頃、理科で「閾値」という言葉を習った。
「ある反応を起こさせる、最低の刺激量」だと。
ありがとうGoogle先生。
楽しいや嬉しい、要するに幸福。
最近の私は、『幸福の閾値』が以前に比べて下がったように感じてる。
たくさん遊んでいた頃は勿論楽しかったけど、お腹いっぱいにならなかった。
今はちょっとしたドライブなんかでも、幸せを感じられるのだ。
娯楽に飢えて、少しのことで刺激になっているだけなのかもしれない。
コスパ良く、なんて言うと色気があまりになさすぎるけど、つまりは簡単に幸せになれている。
きっと、どんなに山盛り好きな物を買って好きな事をしたとて、それを幸せだと思う感受性が鈍ければ、幸せになんてなれっこないのだ。
何をするかも大切だけど、何を思い感じるかも、暮らしの中で幸せを噛み締めるには大切なんだろう。
自分のためより家族のために、時間もお金も使うようになった。
特別なイベントはないけれど、娘ちゃんの柔らかいほっぺを吸って、彼女が寝付いた後の甘い紅茶一杯で幸せを感じられるのは。
なんて言うか、地に足をつけて、前より上手く生きているよなあと思う。
きっと本人が困り感をおぼえた時、それは「性格」ではなくなる。
これからどうしよう。
数日それぞれじっくり考えた上で、夫氏と話し合った。
以下、夫氏の言ったこと。
・軽傷だったのは運がものすごく良かっただけで、少し何かが違えば人の命を奪っていた。
・元々自分は不注意が強いと思ってはいた。
・1人で生きていく分には「自分は」困らなかったから、あまり気にして来なかった。
・私と結婚して、娘ちゃんが生まれて、2人を守る父としては、このままじゃ駄目だと思う。
・なんでもする、変わりたい。
・どうすれば良いか、一緒に考えて欲しい。
ずっと不思議だった。
私から見ると結構生き辛いだろうなと思える程度の不注意を持っている夫氏、本人は困り感がなかったから。
(どうして困り感がなかったのかは、またゆっくり考えてみようかなあ…)
『障害』ってなんだろう。
色んな考え方があるけど、一般的にイメージする『障害』は、「その人の心身機能の何かが欠けているかどうか」で判断する生理的な物差し。
例えば、足が動かない、目が見えない、とか。
でも、欠けた機能を補って生きていくことだって出来る。
そこで2つ目の「その人が生きていく上で困っているかどうか」で『障害』を判断する社会的な物差しがあると思う。
私は眼鏡やコンタクトを使って生活してるんだけど、もし平安時代なんかに生きていて、視力矯正具がない世の中なら。
私の近視は、きっと『障害』になるだろう。
要するに、判断基準は困り感の有無なのかなって。
ここで忘れそうになるけど、多分忘れちゃダメなのが、「誰の」困り感かってこと。
それはきっと、本人じゃないといけない。
例えば(小さ~〜い例えだけど)、夫氏と暮らす中で幾多のお皿が天に召され、数多の鍵・大捜査線で踊ってきた。
私は、お気に入りのお皿が割れてしょんぼりしたし、鍵を探す労力にため息だってついた。
でも、夫氏はそんなに気にしてなかった。
だからこれは、「夫氏の」困り感ではなかったんだ。
色んな考えがあると思う、色んな考えがあって当然だと分かった上で。
こういう白黒微妙なラインの場合、本人以外の困り感で診断名をつけるのは何か違うな、と私は思う。
ううん、意思表出が難しい度合いの『障害』でも、理想を言えばそうなんだろう。
だって、すごく雑に言うと、その人の人生じゃん。
出来る出来ないを学校のテストよろしく他人がジャッジするの、すご〜〜くデリケートだと思うの。
勿論、WISC・WAISみたいな知能検査で点数は出るけど、それは判断する材料のひとつであって、それ以上じゃない気がしてる。
話が少し逸れたけど。
今回の交通事故で、夫氏の不注意は「夫氏にとっての困り感」になった。
だから、受診を考えるなら今なんだろうな、と思う。
喧嘩(2020夏の陣)②
ちょっと間が空いたけど、続き。
家に帰って、夫氏と娘ちゃんとなんとかやってみてた。
そんな時に、交通事故。
娘ちゃんの寝かしつけのために、夫氏の運転で夜のドライブをしてた時。
娘ちゃんをとんとんしながら、後部座席で私はうたを歌ってた。
突然、車体が揺れる衝撃。
ぱっと窓の外を見ると道路に散らばった鞄らしき物。
うおお~〜!うおお~〜!という、うめき声。
真っ黒の人影らしきものが、むくりと起き上がって歩道まで歩いて、そこに倒れ込んだのが見えた。
頭が真っ白になって、「人!人!!!」と叫んだのを覚えてる。
呆然とする夫氏、私は震える手でスマホを取り出して、119。
震えながら叫ぶように電話した。
それから、110。
夫氏と車から降りて、倒れている人に駆け寄った。
物凄いお酒の匂い。
その人は、手にお札やカードを握り締めて、歩道に寝転んで笑っていた。
話し掛けてもまともに話せない。
お酒のせいなのか、車のせいなのか。
物凄く怖くて、物凄く。
救急車が到着して、警察が到着して。
夫氏が、ようやく口を開く。
「とんでもない事をしてしまった…」
黒いトップス、黒いボトムスのその人は、車道の真ん中に寝転んでいた。
あ。と気づいて急ブレーキ、元々ゆっくり走っていたのもあって、軽い打撲のみで、車もほとんど痛まないくらい。
酔って車道の真ん中に寝転んでいた人を、なんてまさか自分の身に起きるとは思ってなかった。
気付きにくい状況だとは思う。
警察の方も同情的だった。
でも、でも、でも。
本当に、気づけなかった?
多分私がドライバーなら…。
鍵をなくすくらい、お皿を山ほど割るくらい、私が気持ちを上手に持てば2人でやっていけると思っていた。
でも、もしかしたら。
夫の不注意は、私の、娘の、夫自身の、そして誰かの大事な人の命を危険に晒すかもしれないんだ。
それに初めて気づいて、怖くて、悲しくて、どうしたら良いか分からなくて、それでも夫が好きで、娘を抱っこして泣いた。
喧嘩(2020夏の陣)
産後、初めての育児でとにかく余裕がなくって。
今までは余裕があったから、夫氏の生活のフォローが苦じゃなく出来ていたんだけど。
「娘ちゃんのお世話」という最優先かつ最大のタスクが常に私の80%くらいを占めていて、残りの20%で自分の世話をしているから、夫氏のフォローが出来なくなった。
夫氏は何も変わっちゃいない、良くも悪くも。
だから、「今までやっていたこれこれのタスクはサービスを終了しました」なんて投げ出されちゃ、夫氏も夫氏で困るだろうな、とも思ったんだけど。
でも、無理!
私のキャパはオーバーして、ある日どかんと爆発した。
きっかけはささいな事だったけど、これ以上ここにいたら私が壊れる!と思って、実家に避難した。
1週間くらい避難して、ゆっくりゆっくり考えて、見えてきた3つの不満。
①共感性と想像力のなさ
「自分がこれをされても嫌じゃないから、相手にしても嫌じゃないだろう(やって良いだろう)」思考で、噛み合わないことがある。
私は嫌なの、だから主語をあなたじゃなくて私にして。
想像力がないことは、共感することの困難に通じている気がする。
相手の気持ちを、上手く想像できないんだ。
例えば、夫氏の仕事が繁忙期だったから、娘ちゃんを連れて実家に帰ったのに、戻ってきて一番の言葉が「実家でゆっくりできた?」だったとか。
そういうの。
その想像力のなさから、服を自分で選べない。
センスの問題じゃなくて、気温やTPOに合わせられない。
真冬に半袖、台風の日に白いパンツ、畑に行くのに半袖サンダル。
今は全ての私服を私がフォローしてる。
自分で服を選んで、自分で買えるようになって欲しい。
②不注意
ゴミ捨てに行って家の鍵を捨ててきたことがある。
車のミラーは、不注意から1年で左右両方吹っ飛ばした。
物を壊すのはしょっちゅうで、けがもよくする。
いつの間にか私は、夫氏がやりそうな不注意を予測できるようになってきて、先回りして言っている。
缶詰を開けるときには「手を切らないように、ふちを触っちゃダメだよ。」とか。
挙げたらきりがないけど、そういう小さいこと一つ一つ、しんどいなあって。
娘の他に、もうひとり子どもがいるみたいなの。
③自分と私の境界線が薄い
これよ、これ。
夫氏、「自分」のエリアが広くって、私も「自分」なの。
私の物を自分の物として使うのもだけど、私がやったこともいつの間にか"2人でやったこと"になってる。
甘えてるのよ、なんて人は言うけど。
多分、そうじゃない。
難しいよね、こういうの。
一度家に戻って、夫氏と私、義母と実母で話し合いした。
ゆっくり話して、夫氏には伝わったと思う。
その場にいた義母には伝わらなかったけど、別に良い。
少しずつ、上手くやっていけますように。
そう思って、また生活を始めたんだけど…